夏が近づくと、ウナギの話題が増えてきます。
スーパーに並ぶ蒲焼きはもちろん、SNSには「釣った天然ウナギを炭火で焼いて食べました!」という投稿も。
つい先日も、釣り情報サイトのTSURINEWSにて、「天然ウナギ釣りのすすめ」という記事が掲載され、大きな反響がありました。
釣りを気軽に楽しむという趣旨の記事ではありますが、ウナギが絶滅危惧種であるという点や、資源管理への視点はほとんど触れられていませんでした。
こうした情報が読者に与える影響は小さくなく、今後の釣り文化のあり方や、情報メディアとしての責任についても、改めて考える必要があるのではないでしょうか。
ウナギは「絶滅危惧種」
私たちが「当たり前のように食べている」ニホンウナギ。
実は、2014年に国際自然保護連合(IUCN)から絶滅危惧IB類に指定されており、現在もその指定は続いています。
つまり、国際的には絶滅のリスクが非常に高い生き物として分類されています。
この「絶滅危惧IB類」というランクは、たとえば「トキ」と同じカテゴリにあたります。
もし今、トキを捕まえて焼いて食べる人がいたら、私たちはどう感じるでしょうか?
それと同じことが、ウナギでは平然と行われているのです。
しかも、ウナギは今なお食用として大量に流通し、かつ天然個体の捕獲が日常的に続いているという点で、他国と比べても極めて特異な状況にあります。
ヨーロッパでは、ヨーロッパウナギが同じく絶滅危惧種に指定され、EUの多くの国で商業的な輸出入や漁獲に厳しい制限がかけられているのに対し、日本ではいまだに「釣って食べる」ことに対して何の制限もないのが現実です。
だからこそ、個人が悪気なく行動していても、知らないうちに「絶滅の危機にある生き物を獲って食べる」という行為になってしまう現状があるのです。
問題は「個人の釣り」ではない──制度と意識の“空白”
もちろん、この記事を書いた人や、釣りを楽しんでいる人が悪いわけではありません。
本当に問題なのは、いまだに個人レベルの捕獲に対して明確な線引きがされていない制度の側です。
ウナギは、完全養殖が極めて難しく、現在流通している多くが天然稚魚(シラスウナギ)をもとに育てられたものです。
つまり、どの段階で捕獲しても野生資源への依存が避けられていないのです。
実際、シラスウナギの国内漁獲量は、1960年代には年間200トン以上あったものが、近年では10トン台まで激減しています。
それでも日本では、今なお数十億円規模の取引が行われ、「最後の一匹まで獲る」と言わんばかりの競争が続いています。
そして、天然個体を釣ってそのまま食べる行為は、たとえ一人一人は少量でも、全体としては資源に確実な影響を与えます。
「身近さ」と「希少さ」は両立する
記事では、「ウナギは実はとても身近な魚」と書かれていました。それは半分、正解です。都市河川や水門まわりでもウナギは見られます。
しかしその“身近さ”に油断してしまうと、本来の「希少さ」や「保全の必要性」が見えにくくなってしまうのです。
身近にいるからといって、持ち帰ってよいとは限りません。
いま私たちができること
いま、制度が追いついていないなら、私たち一人ひとりが“食べない”という選択をすることもまた、大きな意味を持ちます。
- ウナギを食べる場合は、頻度や量をできるだけ控えるようにする
- 釣る場合は乱獲を避け、持ち帰るとしても1匹程度にとどめる
- 「絶滅危惧種であること」を周囲の人に伝える
こうした行動の積み重ねが、未来にウナギを残すための第一歩です。
おわりに
制度がないからといって、獲ってよいわけではありません。
悪気がないからといって、正しいとも限りません。
これはウナギだけの話ではなく、これからの“自然との向き合い方”そのものを問う問題です。
だからこそ、「自分だけは大丈夫」という気持ちを、ほんの少しだけ見直してみませんか。
ウナギが再び「本当の意味で身近な魚」になる未来のために。
ニホンウナギやヨーロッパウナギを絶滅危惧種にまで追い込んだ大きな要因は、日本人の消費のあり方にあります。だからこそ、その責任を果たすのもまた、日本人自身であるべきです。
日本は、漁業においても釣りにおいても、世界と比べてルール作りが非常に遅れているという現実にも、そろそろ向き合う必要があるのではないでしょうか。
それではまた。


コメント